塔聴!!ドルアーガ ラスト

 はい、前回のカットに引き続き、カーヤ17歳のコーナーは収録無し。もうラジオはどーでも良くなりました。バナーも外す。だって折笠富美子フィーチャーのコーナーですよ。当初からゲームの宣伝と解ってはいたモノの、過密スケジューラーでお馴染みの姫のレギュラー番組でこのコーナー無くしてどーすんのよ?って話。アカラサマな宣伝番組は嫌いなのである。セトハナも酷かった。ほぼ毎回どれだけ人気があるかのアピールですよ。大本営発表的な放送はお腹いっぱい。日本のサッカーとかボクシングとか。パスサッカーでも無いし組織的でも無いし。まぁ百歩譲って後者は良しとして、前者は代表ならイラン、メキシコ等、南米の雄二つを除いた国の試合を観ても明らかだろ。日本のがパスサッカーと呼べるかどうか。クラブチームならバルサは勿論、'90年辺りのミランでも亦現在も時折見られるしローマでもまた然り。守備偏重、カウンター主体、1点取って後は守れば良いなどが伝統と言われるイタリアですら、スペクタクルな攻撃が見られる。海外サカヲタがどーのって批判がよくあるが、ファンが日本のサッカーのスタイルで満足している限り、サッカーの教育も変わらない。戦術とか勝ち負けの意識は中学生以上で良い。まぁ勝ち組、負け組などの言葉が存在する国であり、結局自分自身の幸福が相対的に決定される周囲の目を気にする国民性、日本と云う宗教に洗脳されている事に気付かない大衆が多いので、”教育”と云う問題はサッカーに限らないのだが。取り敢えずゴールに関してだけ書くと決定力不足以前の問題である。先ず枠内シュート撃てと。後は予測、イメージができないのでタップ・インに繋がらない。オフ・ザ・ボール時の上がりにも関係するが。まぁスタイルはどーでも良いが、良くないが、実況がおかしすぎるって話。じゃあ聞くなって話もあるが、どれだけ意識がずれてんのか知りたいのでな。

 アニメに戻すが、番組宣伝ラジオ。最近ではメイドガイとか、ってそれしか聞いてないが、特に”宣伝してますよ!”的な内容では無く、面白かった。特に小山力也氏、井口裕香のファンでは無い事は一応書いておく。まぁ宣伝のお陰でスポンサーが出資してくれる訳だが、繰り返すが滅多に聴けない姫のレイディオでのヴォイスである。パーソナリティーに就任させてくれたのは感謝だったが、所詮GONZOかって感じ。売り上げをP2Pのアプリの所為にする会社である。良い作品ならほにゃららして観たものでも買うよ。少なくとも俺は。良いってか好みだが。てか昔は劇場やレンタル以外でも映画をほにゃららしていたが大量に買っていた。そーゆーモンだよ。てかコドモ向けに販売してるんなら、あの値段なら買えないでしょ。俺の小遣い、高校時代は1万+本代1万である。もう少しもらっていたが、それでもこの金でアニヲタだったら先ずその他の嗜好品に金は回せないだろ。ってか乱発されるアニメ関連の商品でDVDに割く金はせいぜい月一本位でしょ。まぁ俺がダウナー・ミドル階級の家庭で育ったので、もっと金貰ってるコドモもいるだろうが。とにかく多くのDVDが出ている中で自社の作品を選択させるだけのクオリティ、ってか面白さを持たせてから発言しろよって話。てかGONZOさんの責任かどうかは知らんけどね。コーナーに関しては妄想の話。
 まぁ俺に関してはアニメ観る様になったのが大人になってからで良かったと。でも正直な話、現在面白いとか言ってるアニメでもコドモの頃観たらどうだったろうかと不図考えると、多分1本も無いだろうな。頑張ってるアニメ関係者には悪いけど。てか若しかするとあるかも知らん。今度考えよ。で、一般向け、ってかちょっと普通のアニメとは違いますよ的な宮崎作品、ジブリでも、押井守でも、特に内容があるとは思えない。勿論アニメより一段上と捉えられるゲイジュツ的な映画でも。結局究極の娯楽は小説ですよ。とは言ってもアメリカ、イギリスの映像と会話にセンスが感じられる映画は好きである。感動するエロゲ云々ってのがあったが、それをバカにするゲーヲタ、アニヲタ、更にその上のドラマヲタ、また漫画ヲタ、その上に映画ヲタ、で、その上にブンガクヲタ。
 いつもカナで書いてる様にブンガクってのはまたその筋のヲタがうるさいので、ってかヲタ、マニア、フリークはなんのジャンルであれそうであるが、俺は唯、映像文化にうずもれてフェティッシュとしている人間は一度冷静になって小説、ラノベ以外、を読んだら良いのにと思ってるだけである。その上で内容、ストーリーに就いて語れと。

 京アニのヲタ向けドイヒーアニメの中で「本は教養を高める為」だかの発言があったが、まぁあの作品は色々間違った事を言っているのだが、単純に娯楽である。それを理解できていない人間にはファッションとしてのブンガクになる。古典を読んでなんぼとか。まぁ昔から小説はジュンブン等ちょっと高尚に見えるモノ以外、まぁそれさえって事もあるが、読まない人間からは否定されていた様である。謂わば本を読む人間はちょっとおかしい的な。それが昨今変わっている様であるが、小説の性質自体は何も変わっていない。何度も書くが娯楽である。唯、ちょっとアタマを使う為、読みなれていない人間には楽しめないらしい。それが読まない人間からの、時代の推移に依り、評価の変化、小説と云う媒体自体の、に繋がる。
 新聞好き、活字好きをステータスとする人間もいるが、全くベツモンである。結局本を読む事に時間を費やす人間は少数派なのである。いつの時代も。まぁ正直な話アカデミカルな本、実業に繋がるモノだけを読んでいる人間、亦本以外に現実世界に必要な事に時間を使っている人間の方が社会的には成功してる(する)だろうと思うけどね。

 なんの話これ?