まさかの千葉千恵巳登場

好きじゃあああああああああああああああああああああああああ!!!


狂乱家族日記 19話 「その気がなくてもドジデビル

 上記、途中のブログでも書いたが、名演、広橋演ずる雹霞と名コンビネーションを見せる切子登場。先ずこの段階でこの回は面白くなるとの喜びが起きる。そしてOP前の優歌の憂いた表情が布石となるであろう予測から、この2つのプロットが今回のエピソードの中心となる事も同時に予測される。
 因みにプロットと云う表現は様々な表現媒体のそれぞれのディスクール内で違った意味を持つ加之、小説に対する書評、感想、また書く側のモノカキの立場の間でも異なる使われ方をする。俺が使う場合には、簡単に言えば、小説の中に於て、書きたいアイディアから具体化させた動かせたい人間、世界、また両方が絡むシチュとなる。また、勿論物語全般の芯、若しくは逆に聞こえるが、包括するモノである。オブジェクト指向言語をやっている人間だと、作成前のクラスの説明、または詳細設計と例えると解り易いかと思う。前者の場合、1つのプログラムを全体の物語と考えた場合、Aと云うクラス=プロット≒エピソードの中で、ローカル変数をいじる場合には問題無いモノの、不用意にグローバル変数を使い、内容を変えてしまい、他の、同じ変数を使ったBのクラスに影響が出ると云うミスを犯す事がある。これがプロットの破綻と云う表現に近いか。
 また伏線が消化されずに終わると云う表現は、グローバル変数(定数でも良いが)を設定したにも拘らず、1つのクラス内のみで使い、グローバルにした意味を成さないと捉えられる。併し、伏線と云うのは飽迄も読者の解釈に依存するモノと言い切っても良く、伏線が回収されていないと云うステレオタイプな批判は単純に真理とは言えない。繰り返すが、飽迄も読者が繋がるモノと思い込んでるだけとの解釈ができるからである。

 また逸れた。で、切子雹霞、優歌が中心となるだろうと思いきや、また新キャラ登場。ドジデビル。まぁ予告で解っていたが。思いきやとは書いたモノの、ドジデビルが彼女等を放っておいてストーリーの中心になる訳では無く、切子、優歌の内面、動き等を引き出したり、亦外から見た乱崎家を写す役割も果たしているが。と云うか、この作品に於ての多くのゲストキャラ、イヴェントは家族の絆を見せる役目を果たす為、亦深める為に存在するのが基本だろう。
 で、まぁ初めの内は「どこかで聴いた事のある声だな」と、まぁアニメを観始めてから遅い俺故、よくある事なのだが、ちょっと古い感じの声優と思い、まぁ最後にクレジットを見ようと思いつつ観ていた。
 優歌がトイレに入るシーンの声、「あたしが邪魔で入れなかったのね。どうぞ、どうぞ〜」で矢張り「アレ?」と思い、観(聞き)返したい誘惑が出てくるが留まる。そして優歌が泣いているのを聞いたドジデビル(なんか書くのが恥ずかしい名前だが。濁音4連続の所為か)が「ミケ、どういう事だと思う? あの子泣いてた」「でも、よりによってあんな幼な気な子が?」とのセリフを発した瞬間、千葉と確信し併し確認する為彼女の名前を連呼し乍らクレジットまでトばす。帝架の背景が見える。そして
ドジデビル 千葉千恵巳

号泣。

 TVを観るためにリアルタイムでその前に座るのは年に数度と云う俺の性格の為確認できたのは良かった。ツまらん作品をトばす事は多々あったが、役者が解った後でも、それを確認する為に観ている作品を中断させる程の力を持つのは後にも先にもこの回の千葉千恵巳のみだろう。
 そして先に書いたセリフ、優しさの演技、僅かなセリフで心に染み入る演技が千葉千恵巳の芝居の真骨頂である。演技の基本である喜怒哀楽。この演技幅、1つのキャラクターの声幅を壊さず、を持つのは今のところ、おジャ魔女どれみでの千葉千恵巳すてプリ時の折笠富美子しかいない。今んとこね。
 以前声優のフットボールチームを作ったブログを書いた後、そこでも書いたが声優サッカーとか云うのを書いたブログを見つけ、声優の能力、性質を詳細に体系化しサッカーのポジションに例えたモノがあった。そこで特に”1つの作品内でポジショニング”すると云うのが、まぁその前にも俺も考えていたが、適切だな、クラブチームとしては、と思った。他にもフィードバックにまではならないまでも考え方が面白いなと感心したが。
 併し、凄いと誉めるだけならそこのブログを引用できたのだが、残念乍ら彼等アニヲタと俺の決定的な声優への考え方の差があり、それは違うだろって事があったので、リンクは貼らず意見だけ書いておく。

 単純に云うと彼等(個人のサイトだが、コミケだかで発表したモノは談義であった)は役者は顔や身体も含む演技をするので、声の演技では声優畑で育った人間、アニメ用の教育をされた人間の方が上として、そこで桑島法子を挙げていた。
 ちょ、待てと。芝居をやった事あんのかと。いや、それ以前に何度か観れば解るだろうと。劇団は星の数ほどあります。小さい劇団の公演、キャパが、でも、20列でもいいや、その半分から後の人間が表情に注目するか? いや抑も見られるのかどうかって話である。いや、それ以前に表情や動きをメインで上手いか下手かを決める演劇好きはいないだろうと。
 演技をする側でもそうである。先ずは発声ありきである。ミュージカルになると横になってでも動いてでも声を出せなければいけない。腹の下に落とす事はできないのだ。格闘技で云えばマウントポジションを取られた人間の打撃が支点が無くなる為(実際には場所が変わる為)弱くなるのと似ている。
 身体の動きに関してもそれに頼って演技する訳では無い。結果舞台出身だと動きが大きくなりがちと云うだけの話である。結局声に就いてはTVドラマや映画と云った映像媒体を観る事に比重が偏っている人間の意見と思われ、まぁ必ずしも舞台の役者が声をあてれば上手く聞こえるとは言えないが、声優の演技の方が上、亦はアニメに適してると云うのは勘違い、及び、長い間”アニメの演技”に洗脳されてきた結果だと思われる。まぁこれはアニメに限らず、TVドラマ的な行動や発言、マス・メディア(ネットも含む)的な思想、TVから影響を受けた笑い、を使う人間に見られる様に、何から洗脳(教育)されたかに依る事柄であるが。

 で、話を戻すが、矢張り声優は役に恵まれないと、この場合は演技幅を出せる役を貰えないと上手いかどうかは解らない。故に千葉千恵巳折笠富美子は単に役に恵まれたとも言えるが、実際その演技をこなしているのだからしょうがない。以前姫をクライフと言ったが、千葉千恵巳だな、クライフは。ロマーリオとかの方が合うかも知れないか。ディエゴはあんま好きじゃないんで無し。ともかく声優に復帰した様で嬉しい。

 前も書いたが、色々あったかも知らんが、人間嫌いと言ってはいるが、人の心が解らないとどれみで見せたあの、人を慮る繊細な優しさの演技はできないと断言する。


 扨て、勿論期待、切望していた切子役の西野陽子さんも、雹霞絡みでなくとも良い演技であった。前回の批評でも書いたが、大物ゲストが毎週、亦時々出てくる海外ドラマの様に、ゲストが非常に良い演技を見せる。勿論レギュラーもそうだが。まさかレギュラーってキーワードでトんでくる人間いないよな。ハイッハイッ ハイッハイッハイッ。てか今回は千葉が出てから、いやその前の優歌がトイレで泣くところから、その理由が解らないにも拘らず泣いてしまい殆ど集中できなかった。いや、集中して観ていたのだが、感情の方が強く、感極まった儘で終わりを向かえ、エンディングテーマが終わった後も暫く動けなかった。
 まぁこれは千葉千恵巳の所為であって、ARIA最終回やどれみ最終回の様に作品の内容で泣いた訳では無いのだが。


 ともあれこの番組を好きで良かった。若干画が丁寧になった感もあるしw この回で狂乱家族日記は伝説と化した。俺の中で。揺るぎなく。


 最後になるが、千葉千恵巳さんをもっと出して下さい。スポンサーの方々。良い役をお願い致します。
 てか、取り敢えず今回千葉千恵巳を選んで下さった方(々)ありがとうございます。