朝比奈みくるの暴落

 前回と同じく涼宮ハルヒの入札と云うタイトルにしようと思ったのだがみくるちゃんが余りにも可哀想な為このタイトルとした。逆に酷い仕打ちにも見えるが。それにしてもみくるフィギュアは人気が無い。マックスファクトリー版はまぁ5月発売予定だからまだそれ程売れていないとも思われるが2月のハルヒ程売り上げがあるとは思えない。俄か転売師が在庫を持て余すモノと思われる。表情はまさにみくると云う感じで良いのだが。個人的にはアトリエ彩のオッドアイの方が欲しいが。

 こちらの表情は元気であり、原作のカラコンマックス版の表情どちらを選ぶかがポイントだろう。俺はどちらも買わないだろうが。
追記:などと言っていたがカラコン装着のマックス版フィギュアが発売されていた事を知る。更に通常版もこの後すぐに予約していたりする。困ったもんだ。


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追記&注:魔法使い長門マックスファクトリーに就いてはココとか最新の日記を見るか検索を。もうおせーけど。てか情報少ねーけど。・・・結構前からリンクを下に貼ってあったんだが。'07/03/07再修正
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しかし・・・これはひどい





   誰だよお前



 扨てそのみくるであるがみくるフィギュア応募用紙が付いている少年エースとやらの3月号も売れていない。欲しくてその雑誌を買った人間は良いが転売用で買った人間は悲惨である。オクではかなり安く買い叩かれているのだ。長門フィギュアが異常過ぎたのだろうが。まぁそのザ・スニーカー2月号もまだタマ数がある様で、締め切りも今月末だから余裕があり一時期より値段が安定している。もう少し様子見か。フィギュアの2次転売では¥3,000位で売りたいだろうがそうはいかんよ追記:長門フィギュア再発決定!
長門マックスファクトリー版この儘ハルヒが何の展開も見せないとヲタはすぐ次の獲物に移ってしまうであろう事は想像に難く無い。取り敢えずライヴ〜激奏〜があるが、アニメの次の枠は結構前から決まっているのでハルヒ2は暫く無いであろうし、映画で繋ぐ事しか考えられない。この後またドラマCDと云うのではキツいだろう。収束するか再び展開を見せるかに依って涼宮ハルヒの相場は大幅に変わる。小説はまだ続くだろうが作品としては危ういモノがあるのは事実だ。抑も角川は金は持っているが出版社としては、と云うか作品群の質は2流である。勿論割合の話で作家自体は素晴らしい方もいるのだが。まぁライトノベルと云う分野に限って云えばどこも2流なのだろうが。よくイイ歳をした大人が[マンガ、ライトノベル等カッコ内はなんでも良いが]を読んで云々と揶揄される事があるが、逆に小説が好きな人間で思春期を迎える中学生にもなれば恥ずかしくてこんな絵の付いた本は買えないであろう。少なくとも俺はこの類の本は買った事が無い。いや、少女向け恋愛小説みたいのを数冊買った事があるか。ジュヴナイルとは、最近誤解が多い様だが、児童書より上の年齢層、少年少女と言われる中・高生向けのモノを指す。勿論個人差があるので小学校高学年でも読むだろうが。扨てそのジュヴナイルと呼ばれる本を読む時期と云うのは小説を読む為の脳の形成に非常に大きな役割を果たすのである。そして読解力、及び文字から映像を想起する力と云うのはハイティーンまで、せいぜい20代前半までで上限が決まってしまう。勿論”速読術”なるモノは大人になっても使えるモノであり、ある局面では非常に有効ではあるが、前述の脳の機能とは全く関係が無い。
 文字離れが激しいとか云う話は聞いた事があるが俺が統計を取った訳では無いし、昔から、と云っても俺が生まれてからであるが、小説を読む人間はそれ程多くないと思っている。併し書籍、殊に古本屋は明らかにマイナスのベクトルを指している事は明らかだ。大きなチェーン店でもよく売れる本やマンガの量が増え、読者が均質化されてしまう。小さな古本屋は更に顕著であり文庫よりも新書を増やし、酷いところだと文庫のコーナーすら潰してしまう。商業主義である。無論年々本の絶対量は増えていくのは当たり前だが、著名な作家の本も更にその中で著名な作品が数冊置かれるだけとなる。それに対し近年ネット販売で古本も含め様々な本が手に入る様になったのは非常に喜ばしい事である。アカデミカルな本も勿論楽しいのだが、想像性を養うには是非小説を読んで欲しいと思う。読んだ文章が意図せずとも記憶にイメージとなって蓄積され、不図した時に想起されたその映像が映画やTV等の媒体を通してでは無い事に気付いた時の楽しさは多かれ少なかれ誰しもあるのでは無いか。それは静止画、動画問わず直接的映像媒体から妄想するのとは違った脳の働きなのである。今はブログや掲示板が普及したお陰で誰も一家言持つ批評家となっている。素人は唯の印象批評を行っても良いだろうが、文学に比べ歴史の浅い映画やマンガ、アニメを批評の仕方も解らず、その世界だけで通用する読み方や通俗的クリシェを使いコメントを書いているプロがいるのは非常に嘆かわしい事である。そしてそれを読んで真似をするのが世の人間、特に新しい用語を覚えたらすぐ使いたがる若い世代であり、彼等に対し悪影響を与えている事に気付かず負のスパイラルが続いていくであろう
 話が逸れたので先ず内カッコから閉じていくと取り敢えず文庫を読んだ方が良いだろうと云う事だ。義務教育時代に、いや大人になってからも新書にこだわるのは本を読まない人間か金持ちである。単価が高いと云う理由だけでは無く場所を取ると云うのがその理由である。まぁ俺も余程読みたい時は文庫化される前に、また文庫化されないモノは買うが。俺の狭い部屋ではせいぜい千冊しか置けない。後は段ボールである。と言いつつ書棚にはコミックの為の数段もあるが。これでローゼンとか買うとまた整理しなければならないのか。

 で角川の話に戻る。思いつく儘にまただらだら書いてしまったので有名な事件とその関連事項も含めコメントを書いて終わるか。第五回日本ホラー小説大賞落選作品バトル・ロワイヤルに就いてである。角川ホラーは確か10年だかせいぜい20年位の若い文庫である。海外のミステリ、ホラー、SFならハヤカワ、創元。国内作家ならジャンル雑多の新潮、講談社が一流だろうか。勿論小説で尚且つ文庫での話である。岩波文庫NHKみたいなモンなのでこれも省く。扨てその角川ホラーは日本のホラー作家を使ってなんか頑張ろうとしたのだろう。最近は余り読まないがホラー好きな俺でも”リング”は作者が日本人なのにこれはすげーなと思ったものだ。残念ながら他は覚えていない。半年前くらいに古本屋で角川ホラーを数冊買い漁ったが残念乍ら印象に残っているものは何もない。やたらペダンティックに見える精神医学関連用語を繋ぎ合わせて懸命に書き上げました的な感じを受けるISOLA(スペル不明)と云う作品だけは題名と若干のイメージだけ残っている。まぁ映画と違って小説はつまらないと思っても時間の無駄になったと思う事が殆ど無いのが良いところである。ダニエル・キイスの”眠り姫”なんぞは何コレ? と思ったモノだが別に読んだ事を後悔はしていない。映画に比べ能動的な読むと云う行為で知らない部分の頭が使われるのでココロも「まぁいいや」とか言って納得してしまうのだろうか。ってか俺だけだろうか。映画も詰まらなかったらすぐ止めるしな。観に行った時は流石に出る勇気も無く金が勿体無いので我慢して席に座っているが。

 また話が逸れたがその角川ホラーへの登竜門(なの?)らしいホラー小説大賞で荒俣宏高橋克彦林真理子バトル・ロワイヤル(以下BR)をどこだかの段階で落選させたのが事件だったのである。まぁ選考するのは各人の”目”なので仕方が無いが、落選させた旨のコメントが非常に幼稚であった。めんどくさいので書き写さないが。ホンネと建前はあるにせよ、この作品を批評する場合、先ずは文章が稚拙でありまとまりに欠けている等、構造に就いて言及するべきでは無かろうか。その当事の社会背景を小説と云う媒体に対し考慮するとか、あまつさえ「この様な作品を書く人間が嫌い」などコメントする林真理子は素人にも劣るどころか全くもってネラー以下のコメントである(勿論彼ら、いや俺らか、を一括りにする訳では無いが)。批評とは呼べない。だからと言ってBRと比べて選考者達の著作は下らねーだろうとかお前らに書けんのかよとか言ってもしょうがないのが一応俺が知っている限りではあるが、それぞれの作家の情報と彼等へのコメント等を書いてみる。荒俣宏:知らん。ホラー関係でよく見かける名前だからなんか凄いんだろう。帝都物語は映画で見たが映像はちょっと凄かった。以上。高橋克彦:「悪魔のトリル」確か角川ホラーの初期作品で読んだと思われる。大して、と云うか全く記憶に残っていないが、その影響で悪魔のトリルのCDは買った。林真理子:エッセイを数冊。ブサイクである事を自虐的に書いていたのが若干面白かった。それだけの記憶。

 扨て上記に書いた様にこのBRと云う小説は非常に稚拙な文章である。にも拘らず面白い。逆にその稚拙さが高校生達ならむべなるかな的に感情移入し易い要素を持っている。それに比べるとハルヒではキョンの人物設定が些か不安定である。これは谷川がほぼその儘の自分(+背伸び)をキョンに詰め込んでしまっているからであろう。BRの作者と谷川はその点では同じ様なアプローチに見えるが、背伸びの失敗が起因となり結果は対照的となっている。キョンは勉強もできず頭の回転も速くない、本を読むのも面倒くさいと云う設定の割りに小難しい単語や言い回しを使う。それはハルヒ(キャラ)と古泉も同様であり、キャラクターの(頭の中身の)書き分けが谷川流にできておらず、その都度シチュエーションに依ってそれぞれに或る特定の役回りや発言をさせているだけである。まぁこれは今度書くか。勿論若い作家で読みたい作品は今のところこれしかないし面白いので9巻目が楽しみではあるが。
 話を戻すと荒俣宏がBRの作者高見広春に対し「これを書いた人の家にはマンガしかない様なイメージが浮かぶ」「(BRは)ゲーム世代にはたまらないと思いますよ」と云った様な発言をしていたらしい。確かに前者の意見はうなずけるところがある。と云っても作品を読んだからでは無く、高見さんへのインタヴューの中で、彼がインタヴュアーに対し言外に、時にはダイレクトに小説を余り読んでいない事を露呈していたからだ。勿論小説を読んでいない=マンガしかないと云うのは短絡的であり、書籍類自体が殆ど無いかも知れない。
 小説を読めば本を書ける訳でも無い。俺は小説を書こうと思っても昔から原稿用紙3枚以上書けた試しが無い。併し何の仕事でも吸収の時期が必要な様に、ある程度様々な作家の小説を読んでみない事には文章の組み立て、パースペクティヴの一貫性の保持、いや基本的な句読点、論理展開と小説を書く前段階に必要なモノすら混乱してしまうだろう。

 何を書きたかったのかときっかけを見つけに遡ったら涼宮ハルヒの今後と角川批判に端を発していたのか。まぁあんまり外れてなかったな。結局ホラー大賞がそうであった様にスニーカー大賞とかもどーだかと思うのである。唯の批判では無く、唯色々メディア展開して金を稼ぐ事よりもいみじくも出版社であるならそれなりの選考者と人材を揃え若者の脳みそを育てる事を考えて欲しいモノである。あ、出版社とか言いながらその前に2流とか言ってたな俺。


 まぁ結局はどんなきっかけであれハルヒの原作とその後のアニメのお陰で小説を読む様になった人間が増えていれば嬉しいと云うのが本好きのホンネである。そうそう、あと長戸フィギュアの制服+カーディガンを出してくれマジで。何をどう間違えたらバニー姿と云う企画が通るのか。