アニメ(印象)批評第一回 「瀬戸の花嫁」その2

 もうめんどくさい。初回を書いた時(その1)はまだ面白いかなと思っていたのだが、1クール目の最終話である第13話「ある愛の詩を見ても何の感動も無く終わる。当然DVDもキャンセル。アマゾンは最近キャンセルする際になんか書かなきゃいけなくなったのね。アマゾンアラートの所為だろうな。で、まぁこの前は文句も言いつつ書いてたって事は何かしらまだ期待するところはあったと云う事なのだが。一応まとめて終わらなければ中途半端で嫌なのでざっと書く。

 と云う訳で登場人物の心の機微、特に主人公の(恋愛)感情的なモノの描写が薄いと。こっから繋げるか。前回はそれに依ってラブ米としては成り立たんと書いたのだが、「燦と永澄の心が通う場面を(暫時的)最終話の山場にもってきたかった為だったのか。すげー!と言うつもりは全く無い。次は螺旋階段を一周してまた同じスタート地点、二人の関係は若干成長した部分から始まるのだろうが、その後今まで描いていなかったラブ米的なエピソードを今更展開するとは思えない。と云うかあり得ない。と書きつつあるんだろうなとは思っているが。最終話(のみ)で互いに思いを確認し合ったのを出発点として解釈させるのだろうか。”任侠ラブコメディ”と書いていなかったら特に突っ込まない部分なのだが。

 扨てそのラブ米部分での話。通常この類のテクスト内では笑いの部分に「”障害”、”すれ違い”、あとなんか適当に思い出したら書く、等の遅延行為」(α)が使われる。また通常のコメディとしては「”シリアスな部分”と”笑いの部分”の対比」(β)、「”スロー”と”アップ”(テンポ)の緩急」(γ)がある程度必要となる。”あり得ない”と先に書いた部分を展開したいのだが、まずは今後の事よりも現在までの話に触れなくてはならないか。
 α)まず遅延の部分から書くと、と云うか遅延とは何ぞやと云う話であるが、単語その儘であり”遅らせる事”である。ここに於ては主人公とヒロインが結ばれる、肉体的にはセックスでもキスでも良いが、要は互いの愛情の確認をゴールと想定した場合、それを邪魔する障害である人物を登場させたりイヴェントを発生させる事に依り結末を遅らせる事である。すれ違いも遅延行為の一種であるのは書くまでも無いかと思われる。”遅延”は唯作家が物語を長くする為に存在するのでは無く、読者に先を読ませたい、又は何らかの感情を起こさせ盛り上げたい等の元来物語に備わる性質であるとも言える。
 その中でまず1.「障害」を取り上げる。めんどくさいのでイヴェントは放っておいて人物のみ。先ずはa)瀬戸父である。一人娘を渡したくないとの思いに由来する。b)巻。永澄をあまり快く思っていない。c)巡。幼馴染で永澄とは仲が良かったらしいので使おうと思えば使える。d)留奈。13話で明らかにされた根深い燦への対抗意識。e)海。これは障害と云うよりも永澄が成長する為に使えるキャラではあるが、持っていきかたに依っては障害と成り得る。まぁ無いだろうが。f)その他。

 ちょっと話が逸れるが、エピソードの話をすると第7話から破綻の兆しが見えたのだが、更にその前の第5話瀬戸内組の面々が学校に赴任した時点で若干不安を感じていた。何故かと言うと単純に瀬戸父のがなるセリフが非常に聞き取りにくいからである。一般的に”テンションの高い”と云う表現でされるそれであるが、言葉が唯のノイズ化すると、声優がいくら頑張っていると言っても何ら良い効果を及ぼすものでは無く寧ろ逆なのである桑谷夏子、サル辺りではまだセリフが大事にされており、永澄もまぁギリで大丈夫と云うところだろうか。その他、がなりキャラが多く、B級ホラーで殺人鬼から逃げ惑う人間の絶叫シーンが長々と続くのと似た退屈な印象を受ける。何より一番問題なのは言葉を大切にしていないと云う部分であり「所詮はアニメ」と括られる要因にもなりかねない。でめんどくさいのでここに挿むと、以前も書いたがγの走りっぱなしの部分が多いので冗長になってしまっているのだ。めんどくさいと書いたが、理由はそれだけでは無く、今思ったが登場人物と物語の緩急に密接な関係がある為であろう。登場人物自体が多面性に乏しいのだ。
 話を戻すとb)であるが、第4話で舞台が学校に移動した時点で巻の出番が減るであろう事が予測された。更に、特に巻の永澄に対する感情変化の描写も無い儘”障害”としてはフェイドアウトである。
c)の巡に於ては扱いが顕著なまでに酷く、全く燦と張り合う部分が無い。第4話、そして肝心の第6話で主人公に対する感情が描かれているものの、これも亦その後決めゼリフを云うだけのキャラになってしまいフェイドアウトである。而も、またここに挿むのは俺の文章の構成上の欠陥なのだが、β)の項のシリアスな演技に於て永澄役の声優が致命的に下手なのである。第13話でもそうだが第6話の巡を諭すシーン等が顕著な例である。他にも気になった回があったのだが。通常の”笑い”の部分に於ては色々な声音を使いアラは感じられない(どころかハマっている)のだが、決めるべき時の声がしっかりしておらず永澄と云うキャラクターを殺してしまっている。比較するのは失礼だがヒロインの燦はどちらも上手くこなしている。「任侠と書いてにんぎょと読むきん!」(修正。語尾が”き!”だと思っていた。)と見得を切るところは、おとぎ銃士赤ずきんに於ける「じゅ〜すぃ〜!」と双璧を成す、それだけで作品を成り立たせる(若しくはつまらなくても持ちこたえさせる)シーンである。桃井はるこが萌えキャラ一辺倒とか誰が言ったんじゃボケ。KARTE.5での「京介君だぁ〜い好き」でむっちゃ泣けるっちゅーねん。すげーベタな設定にも拘らずじゃカスが。特に桃井ファンじゃないけどな。而もあの回はマジカルティーチャーコマチ(かないみか)まで出ててすげー豪華だし。因みに大谷育江はレギュラーの敵役。内容は然程おもしろくないけどな。ウソ。結構好き。まぁいいや。
 で、肝心のd)の留奈であるが、第12話まで遅延行為をしていないのである。留奈も含め、上記の登場人物も含め全てがである(巻や瀬戸父等はポジションを明確にする描写で遅延では無い)。逆に、厳密に云うと留奈の登場した第7話から第13話まで関係の無いエピソードを挿入した遅延行為が延々と行われているのだ。確かに留奈の為に若干の布石が散らばされている様にも見える。併しそれこそよく使われるクリシェではあり、ある表現媒体を意味も解らず使う輩が多い言葉だが、プロットが破綻しているだけである。依って永澄×燦の恋愛エピソードは必要な遅延行為をされぬ儘、主人公に依るものでもレシに依るでも無く、作家(監督等)の強引な神の手に依ってにいきなり大団円を迎えてしまったと言えよう。
Viva!Deus ex machina!

 遅延の説明でも書いたが、これは登場人物の互いの気持ちを浮き彫りにする為のエピソードとして必要なものであり、【REF1】例えば、第1話で永澄と燦が出会い、第2話で結ばれたなら、ラブ米として成立しない。勿論、それを前提とした作品も多々あるし、亦成立後に色々な仕掛けをする事もできる。併しその様な漫画(アニメでのラブ米はあんま知らないので)は大抵現実世界をベースとした作品であり(主にレディースコミックとか。女性のが現実的だからな)、この作品の様なファンタジーの中では稀有であると思われるし、原作を読んでいないが、多分二人が結婚、まで行かなくともステディになった後の波乱を描く作品の様には見受けられない。
 即ち瀬戸花は【REF1】での第1話と第2話の間を無駄なエピソード、及び必要性の見受けられない大量の登場人物を投入して無理矢理話を遅延させた作品になってしまったと云うのが結論である。


 これは批評であり、物語のアラを挙げる場では無いので列挙するに留めるが、最後に留奈の話をしておく。と云うのも結局通常の、と云うか俺の物語能力からすれば、読み解けない結末であったからだ。
#7:留奈は永澄に人魚化された姿を見られる。殺そうとする。燦と関係を持っている事を知り彼を「下僕化する」と云う二重契約を結ぶ(*1)。永澄の家に住む。
#7-8:燦への一方的怨恨から歌の対決をする(*2)。
#8:和解する。永澄の母の前ではしおらしい姿を見せ、溶け込んだ様に見える。
#10:学校に来た留奈父への反応。
 これらのエピソードは、再三書くが第13話への布石と見えない事も無い。#7での「なんであんたはいつもワタクシ様が持っていないものを見せつけるのよ!」と云うセリフからもダイレクトに繋がる。具体的には、母親がいない事が#8の永澄母親の優しさと厳しさへの反応であったり(多分放任で育てられ周囲にも怒られる事が無かったと思われる)、#10での父親に愛されていないと感じている描写等である。
 併し実際#8で溶け込んだかの様に、そして燦への怨恨は歌限定に見え、それも消えた様な描写(その後のぶつかりは軽いお遊びの様に見える)、その後数話のエピソードではなんらそれらに言及せずと、留奈メインだとしてもプロットが練られていない感は否めない。
 更に*1の契約に関しては、人魚の姿を見たものは殺さなくてはいけないと云うルールが明確ではない為に留奈はただ永澄に「下僕下僕」と連呼しているデンパ少女にしか見えない。抑もアイドルとして出てきたにも拘らずアイドルに見えないのだ。瀬川おんぷの方がまだきちんと描写されているし、何より留奈の場合は二面性の中でも殆ど本性の部分を出している為ギャップの面白みも使えていない。他作品と比較するのは余り良くないので瀬戸花で云うと、まだ巻の方がその点ではうまく使われている。
 契約の話に戻ると人間対人魚と云う存在全体と捉えるのが自然であり、そうでないと一人魚(ひとにんぎょ)を見る毎に親戚になるか殺されるかしなければならなくなる。ファミリーと云う単位で考えても、海がシャチに変わったのを見た永澄は彼とも何らかの契約を結ばねばならない筈であり理解できないのだが、コメディとして流せる部分ではある。
 *2の歌の対決に就いては明らかにハルヒ的CDセールスの為だと思われる。限定のCDでは元を取れなかったであろうが、作品内ヴィジュアル効果でその先の販売を見据えての事だろう。


 最後に、今後の予測と云うか期待であるが、まぁもう書いたか。1クール目は取り敢えずこんな終り方だったので2クール目はちょっと期待できるかなと。他のキャラも加わって。何故かと云えば上記CDセールスの為物語を壊しただけの様に見受けられるので、これからは通常営業になるとの予測ができるのである。唯、ラブ米部分に於ける女性キャラとの絡みやすれ違い等に関しては、永澄に対しての燦のスタンスが”静”の為、もうちょっと動かし易いキャラにしないとってのもあるが、がなり垂れ流しキャラがまた増えるのも嫌だなって感じもするし。まぁ桃井もセリフを大切にする方(キャラが)だから大丈夫だとは思うが。
 そんな訳でもうこんな時間。見直すのも色付けるのもめんどくせ。明日。めっちゃ誤字とか変な文章多そう。まぁいいや。【色付け、一部修正追記。July 30,2007】てか瀬戸花っぽく水色にしたら読みきーよ。もう流石に修正せん。

その3へ続く。