折笠富美子2008年6月18日(水)

 また今度MEDIC FIRST AIDの講習をやってるとこに電話をかけたらこの日記に言及すると思うが。話が前後するが、しないが、唯こちらを上に持ってきた方が流れ的に解り易いのだが、ってまぁ小説書いてる訳じゃないので別に良いのだが。

 いつも前置きが長くなるのが俺の癖である。先ずは図書館戦争最終回から。まぁ良かった。感動、作中でむっちーが言ってた「様々な媒体から与えられる感動」はまぁ確かに解る。が、感動は基本感情であり、一時的なモノである。いつも書いているが、確固たる倫理教育が行われていない日本、いや、アメリカでも、パーセンテージで云えば、世紀単位で見ると著しくその割合が減っている、の様な社会では、いくら素晴らしい作品で感情を動かされても、基本的な道徳観念、価値観に影響を及ぼさない限り無意味である。名作、ヒューマンドラマ的な、がおびただしい程、映画で作られている。安いドラマ、こちらは殆ど観てないので決め付ける事はできないが、でも感動する人間はおり、その同じ人間が他人に対して優しくなるかと云えばそうでは無いだろう。泣きたい人間はカタルシスを味わいたいだけである。自己満足、偽善と言われようが、現実の社会で他人に優しくなれたらこの社会はもっと変わっている筈である。2chも特殊な人間が暴言を吐いている訳では無い。フツーの人間がネット上で本性を曝け出しているだけである。
[図書館戦争最終回に就いての追記]初めの方ではこの作品で”世論=せろん”と発言していたのが、最後の方で二度とも”輿論≒世論≠よろん”となっており、前の話でのその言葉で感動を覚えたのが薄れてしまった。折角”本を愛する事”がテーマの作品なのだから、”言葉”に関してもその姿勢を貫いて欲しかった。
 何故ならこれも報道のアホの所為で変わった言葉なのである。当用?常用?漢字が制限を受けたなら”せろん”と読むべきものである。新聞のアホの所為で変わったものと言えば”独擅場=どくせんじょう”が”独壇場=どくだんじょう”となったりなど。自称識者がネット上での言葉の誤用に苦言を呈しているのは非常に滑稽である。マス・メディアの情報、現在では2chすらも誘導に使われているが、と、それに対する情報処理能力の無いマジョリティに飲み込まれる大衆は媒体がなんであっても、昔も今も変わらず、「今の若い者は」と云う言葉すら紀元前だろうギリシャの石碑に書かれていたのが発見されたと本で読んだが、その言葉を使うオヤジもまた滑稽である。言葉に関して書くと色々出てくるのでここで留めておくが。

 で、上記姫の日記を読んだ。繰り返し読んだ。俺には真摯な想いが伝わってきて、本来の自分の価値観を取り戻せたと。何故前置きが必要だったかと云うと、これは感情では無く、正気に返らせてもらったロジカルなモンであり、勿論心が動いて行動に移る訳ではあるが、実際、なんで今まで無駄な時間と金ー去年からのアニメ関連の出費ーを浪費していたんだろうと、俺にとっては、ではあるが、影響を及ぼした文章だったからである。最初にこの日記を読んだ時に言及したが、その後詳しく書かなかったのは、上記、心の変化があり、ブログにその文章を綴る事が難しかったからである。
 18日から行動が一変したと書きたいところではあるが、却々そうはいかない。が、自分に必要な事を忘れていた事を再確認させてもらった。傲慢さから言う訳では無いが、元々俺が持っているモノだから受け入れられたと云うのはあるだろう。無い人間が彼女の日記を読んでその心を持ち、更に行動に移せばもっと素晴らしい事だと思う。人がやってる事を真似するのが嫌だと云うプライドはよく見受けられるが、こういった類の性質のモノはそれらを捨てて欲しい。
 人を助けると云う事は何も身体だけに限らない。他人に対する何気ない心遣いでも良い。一度ブログに書いた事は原稿用紙に書けないのだが、逆はできるので書いておく。
「何が一番大切か」と問われたなら、「人との触れ合い」と答えるであろう。十年前、まだ血気盛んな時なら思い浮かびもしなかったであろう言葉である。
 これは姫のブログを読んだ何日後かに書き留めた文である。人には時間が平等に与えられている。病気であったり、服役していたり、単純に仕事の拘束時間に依っては不平等とも云えるが。その心の中、頭の中を占めるものがどれだけ自分自身の事であるか、行動に於てはその時間をどれだけ他人に費やしているか等もう一度考え直した。俺は人を愛する事に依ってのみ幸せになれる。愛される事はあまり必要としない。例えば相思相愛、かわいい表現するな俺、の相手がいない時期、仲の良い友達と暫く会えない時でも一年に一度位しか寂しいとは感じる事はない、と云うか寂しいとか孤独と感じる事自体が非常に少ない性質である。で、愛する人間がいないので上の項目に繋がるのだろう。と云う訳でこの項の冒頭の文に戻る。勿論、愛する相手と云うのは老若男女問わずである。安っぽい言葉になっているが、謂わば博愛である。
恥ずかしいブログ禁止! なんか普通の日記みたいな事書いたの初めてだな。以後は通常営業に戻る。

 と云う訳でありがとう折笠富美子姫。でも、お勧めのヒーリングCDも買って、吹き替えしてるDVDも購入し、この日記で本来の自分、頭の中身は変わってないが、を取り戻したけど、コクーン歌舞伎中村勘三郎さんまでは影響受けないですよ。