アニメ(印象)批評 番外篇 「らき☆すた」

 基本的に言語学記号論構造主義、亦ジュネットやそれ以後のバルト的分析ry


 今回はこれがメインでは無いのでコピペで済ます。
↓以下

 本来はブログに書く物であるがちょっとした理由があり1〜3話までを見たのでこちらに書いておく。

α)構成:所謂”ほのぼの系”のアニメであり、卑近で形而下的な出来事を拡大、掘り下げる事に依って笑いを生み出していると云うオーソドックスな部分以外にも、主にアニメ等の媒体を見る人間が興味を持つであろうそれに対して同様の手法が使われている。その事に依り作品自身への自己言及になっているシークウェンスも存在する。
 唯、その”笑い”を生み出すのに当たり、作家の、個々の事象に対する認識不足が散見される為(*1)、”大人向けのほのぼの系”となり得ていない。
 元が4コマ(wikiより)で、あまり加工をしていない為か断絶が多い。あずまんが大王の様に原作の類似したエピソードを抜粋してまとめたり、亦或るテーマに沿ってまとめて1章を構成する等の手段は取られず場面転換がいきなり行われる事があるが、これは多分監督の意図的な実験的手法と思われる。勿論全てがそうでは無く、ところどころに区切りは見られる。
 

β)登場人物(表現及び声優):良い意味でも悪い意味でも登場人物には特化した個性が付与されていない。”萌え”は未だ概念が解らないのだが、その様な特性のみで形成されたキャラクターはいない(あっても薄い)ので良い意味で云うと萌えキャラアニメでは無いと思われる。唯、全体的に緩急が無い。これは”笑い”の部分で特に目立ち、ボケとツッコミでも勢いが無く、さりげないジョークとの対比も薄まり、登場人物の声のトーンが基本的に一定であり、「構成」の部分でも言及したが、笑い自体が的を外している事も多い為に退屈との印象を受けかねない。実際OPに騙されたと云う類のコメントを見たが。(俺は期待していなかった事が幸いし裏切られた感までは無かった)


γ)その他、及び総括:「構成」部に書いたが、アニメやゲームが好きな人間にしか解らないギャグが多いので対象はそれらと思われるのだが、前述した様な萌えキャラアニメには見えない為、作家がそれらの視聴者に対して啓蒙的な仕掛けをしようとしてるかの様に見られる。唯、ハルヒの原作(*2)の様にペダンティックにしか見えない部分も多いのが残念である。
 OPは明らかにハルヒのED”ハレ晴れ”が流行った(流行らせた)が故に作られた明白な柳の下のドジョウ狙いでありヲタが喜ぶ作りになっている。EDは各話で変えているなど工夫が凝らされている。
 総括って書いたがまとめの言葉は無いな。そんなところか。





*1 #2の”普通の本”、”活字離れ”、#3の”ぱにぽに(だっしゅ)”に就いて等。
 #2の言葉の定義に就いては色々あるだろうが、自動化された、どころか”拙い”テクスト、使い古されたアイディアで構成されたライトノベルは、ファンタジーがここまで氾濫している中では普通の本とはとても呼べないと思われる。先ず作家は古典から読み直すべきでは無いだろうか。ジュヴナイルと云えどそれしか書いていない人間とそうでない人間の作品には明らかに差がある。
 また、例えば、若い内から読むと良いとされる”新聞”の文章等のテクストは、個人的には”活字離れ”の”活字”には入らず、更にネットで文章を読んだとしてそれが”活字”を読んでいる事にはならないと思われる。何故なら前者は基本的にフォーマットが決まっている為、所謂”読解力”や”想像力”を育てるのには不十分であり、後者は、逆に基礎すら無い人間が書いてる文章も多く(勿論どの様な”カツジ”を読むかに依るが)、話言葉で書かれる文も多い為(俺もそうだが)、これも同様に役には立たない。活字離れとは、活字を読めない事では無く、文脈から正確な意味を読み取る事ができない(若しくは書けない)事である。漢字や熟語を沢山知っていてもしょうがない。文章を構成できてなんぼのモンなのである。

 #3に関しては、特にぱにぽにだっしゅのヲタと云う訳では無いが、と言いつつトップをベッキーにしているが、一応言及しておく。”実年齢と身体的年齢にギャップがある”とのセリフはレベッカ宮本を指しているのだろうが、彼(か)のキャラに対して正確な表現では無いと云う事は書くまでも無い。黒木瞳を例に挙げるなら良いが。あずまんが大王のちよにしてもぱにぽにベッキーにしても、実年齢と知能(に由来する設定)にギャップがあるだけである。

*2 涼宮ハルヒの原作は、*1で挙げたライトノベルとは対照的にレトリックを過度に使ったり通常使わない言い回しをセリフに入れたりと、異化が慢性化してしまっているテクストで構成されている。分裂で明白になったが、著者が実験的(と云っても数十年前から使われているが)な事をする場がこの作品なのだろう。


↑ここまで

 これは以前まだ放映中、mixiにいた頃、マイミクが、つってもリアルでも知り合いだったが、「らき☆すたってどんなアニメ?」的な事を書いていたので、自分の日記のとこに書いたモンである。フリガナ等のみ追加。因みにこのアニメに関しては途中からトばしてらっきー☆ちゃんねるだかのみ観る様になり、最後はそれすら観なくなったので、批評対象外と云う事で番外篇。一応紹介って事で好意的に解釈している部分が面白い。

 扨て、実はこっからが本題。前述のベッキーの話以外にも間違いが散見されるこのアニメ。柊なんちゃらの「本は教養を高める為云々」との発言。パスタは生の方が上的な発言等。パスタをそばとかそーめんとかと一緒にすんじゃねーと。今は文化の一つなんだよ。アルデンテ自体確立したモンなんだと。リゾットやパエリアの米(こちらは原材料ダイレクトではあるが)を日本で食う位の硬さで食うのかと。
 と云う様な間違った知識披露でコドモがその儘覚えてしまうだろう、まぁそれは別にいいけどバカが増えて、と思うが、今回重なったモノがあったのでそれを書こうと。

 先ずヒャッコの#10"虎に翼"。ドヘティー声優二人組の会話から。友達と食べる食事に就いて「でも一緒に食べるとおいしいよ。」「科学的には何の根拠もないわね。」。これは"おいしい"と云う味覚の観点から見た場合、確かに科学的根拠は無いかも知れない。併し医学的には、楽しく食事をすると消化が良くなるのは事実である。それが味覚に影響を与えてもおかしくは無い。と云うか、経験的には実際1人で食うのより、友達と食った方が食は進む。誤った知識をキャラクターが衒学的に話すのがアタマの悪いコドモに及ぼすであろうダブル悪影響、知識と性格に対し、が問題である。
 で、かんなぎ#11の"でも、あやふや"。通常の声はかっこいいですごめんなさい三宅健太さんが宗教に就いて御厨に語るシークウェンス。神道に就いて、「偶像崇拝の禁止などの決まり事も少ない」と世界各国の宗教と比較し、稀有な例としているが、偶像崇拝の禁止をしているのは一神教ユダヤイスラム教位で、キリスト教プロテスタントが否定している位なモンであり、逆に何か偶像を作って拝む宗教の方が、信者の人口比は知らんが、多数派である。"八百万の神"に就いても、"アニミズム"と切り分ける程特殊な概念では無い。
 宗教・オカルト系だと、レンタルマギカも一緒くたに色々なモンを放り込むなら、もう少ししっかりとそれぞれの魔法、それに由来する神なり悪魔なりの勉強をし、何故それらが相互に影響し合えるのかの説明をして欲しいモンであり、それが無い為つまらなく途中までで見終える事となった。まぁアレは主人公が二重人格となる、同じ出版社から出してるラノベ、なんだっけ、あ、ムシウタとカブっていて、どっちも面白くなかったが、フツーの男の子が力を発揮したらかっこよくなるよ的な部分がどーもってのもあったが。同じ様な設定なら"魔界都市新宿"の方が余程面白かった。原作ね。"ヴァンパイアハンターD"のアニメは良かったが、〜新宿のコミックとかは知らんので。

 っつー訳でなんだかんだいってTVやネットに影響受ける人間は多いので、と云うか知識のソースがそれから、って人間も多いので、きちんとした知識を身に付けてからモノを書いて(作って)下さいな。