「それならなぜ、キリスト教は存在するようになったんだろう?」

「それというのも、キリストがこれを為したからにほかなりません。彼は人々を心配したのです。『心配する』というのがギリシャ語のアガペやラテン語のカリタスの正確な訳です。キリストは空手で立っています。彼にはだれも、自分自身さえ、救えません。けれど、他人への彼の気づかいや尊重によって彼は卓越するのです――」 (ウィリス)
 (中略)
「もう潜っていいかしら?」とマリがいった。
「もちろん」とジョーは答えた。彼女が理解していないのは明らかだった。しかし、奇妙なことだが、ウィリスはわかっている。ふしぎだ、とジョーは考えた。マリに理解できないのにどうしてロボットが理解できるんだ? カリタスこそあるいは知力の要素かも知れない。ひょっとするとおれたちはいままでまちがっていたのだろうか。カリタスは感情ではなく、知的活動の高度な一形態、環境の中のあるものを知覚し、察知し、ウィリスがいったように、心配する能力なのだ。

"銀河の壺直し " - フィリップ・K・ディック