アニメ(印象)批評第三回 「電脳コイル」

都市伝説に依ると、この作品内に入り込み過ぎると鬱になるので注意しなければならないそうです

 とただし書きをしておかねばならない程ちょっと凹んだ作品であり、暫くは見返したくないので記憶がある内に第二回をすっトばしてこちらを書く。

世界設定とか
 近未来。その比較的蓋然性の高いガジェットで囲まれ、中でもメガネが主役となる。メガネを通じて見た世界と外して見た世界がどの様に違うかは殆ど触れられず、基本的に登場人物がメガネを通して見た景色を読者も見る事になる。今言った世界、即ちこの作品内での”空間”とそれに対応する”電脳空間”がどの様な関係を持つかは特に言及されておらず、必要なイヴェントが発生した時のみ、その違いが解る事になるが、特に考えずに良い事だろうと思って観賞する。それがSFの読み方であり、この21世紀に「SF=空想科学小説であり、作品内の各発明から産まれたディヴァイス、その作用等に仮説でも物理学的な裏付けが無いとSFとは呼べない」と未だに思っている人間も、逆に若い世代にもいる様であるが、まぁそう云った類の”楽しさよりも論理の整合性”を求める人間はアニメ自体見ないだろうから蛇足であろうか。

 話を戻すと、読者は基本的に電脳空間の世界―景色・町並み―を観る事になる。併しその町の中に”古い空間”と云うものが混ざってる事を知る。オートマトンと云う機械(重複するが)がその”古い空間”をフォーマットする場面を見るからだ。
 扨て、ここでその空間に”レヴェル”がある事が提示される。原因や結果は現在のところ置いておくとして、”古い空間”をフォーマットして新しいレヴェルのものに書き換えるとその空間は通常の空間と看做される。が、飽迄も”電脳空間として”正常なモノなのだ。
 最初の方に書いた”空間”と”電脳空間”が画で説明されずともまぁ良いと言ったのだが(その為にミスディレクションを与えられる、登場人物も、事になるのは後で明かされる)、そこで正常に戻したとしても”何故電脳空間を存在させるのか”と”存在理由”の部分では引っかかっていたのである。併しこれは最終回方面で若干の説明がある。

 またそれらアタマに”電脳”と付くものでもう一つ気にかかったのは、”電脳体”と云う、電子化された精神である。それが物理的身体に入り”肉体と精神”の様な状態を作り出している様に見えた。そしてまたこちらも最終回方面で明かされる。「見えた」と書いた様に上記は途中まで観ていた俺の仮説的推論である。

 作品の文体はミステリーの様に見え、実際それを活かしながらヒきを作り次週、亦その先を解き明かしたくなると云う、受信者にも物語の過程に於てではあるが、推論をめぐらせる事のできる作品ではある。併しこれが後に、俺がこの作品を観るのを一時的にスタックした理由の一つとなる。

プロットの組み立て方、若しくはストーリー進行
 1.#1から#13までを一つのフェイズとする。大黒市に来た主人公ヤサコは読者と、市政、同世代の子供も含め大黒市のコミュニティと云うものを知らない点で同じ入り口から入る事になる。この作品に出てくる登場人物は初期に大量投入される。これはストーリー上無理な展開で、と云う訳では無く、作品内のイヴェントに絡めて飽迄自然に出来ている
 コイル電脳探偵局、暗号屋と呼ばれるイサコ、大黒黒客、主にこの3つ組織の絡み、更にはそれら子供のコミュニティにメガマスと云う企業も絡んでくる事になるが、その中で登場人物の性格、スタンスも短期間に把握できる作りになっている。
 このフェイズでは、導入部で笑える部分もあり、戦闘シーン、初期の人間関係や性格の描写、それらのバランスが良く、フツーの楽しめるアニメになっている。大人(メガマス)の目を逃れながら、或いは戦いつつメタバグと云う、子供の中でのみ価値を持つ物体を探したり、亦イリーガル・電脳ペットとの戦闘、交流などの関わり合いを描いた(この世界に於ての)日常ストーリーとなっている。

 これに絡んでイサコ、イサコと連絡を取っている謎の男、イサコの兄、そして彼を救う為のキラバグの収集と吸収等イサコに付随するもの(α、友人カンナの死の思い出に引きずられるハラケン(β、そして鳥居が複数並んだ階段の夢を見るヤサコそれら三人に共通する”4423”(γ、と云うキーワードがミステリー要素の核となる。このフェイズでは”ミチコさん”は核と云うよりも、読者が住んでいる現実世界の都市伝説の変形に見え、ありふれた、併しそれらに拘束される人間も多い迷信の様に見受けられ、前述の謎が解ければ氷解するかの様に見られる。

 2.βがメインとなる#14-#20を一つのフェイズとする。ここが俺がブルーになった場所である。夕映に感情的にならざるを得ない。総集篇の後もまた手抜きかと思う#14だったが、ここでまた新たなミステリー要素が登場する。ミゼットと呼ばれる型の特殊能力を持った電脳ペットと1人の男である。前者は2体登場し、1体はフミエの弟アキラのペットで、もう1体はそのペットが遭遇したピンク色の個体である。アキラと同じ様な監視行為に使われており、飼い主が最後の方まで解き明かされない儘その背後の新たな存在を示唆する。因みにアキラのミゼットがピンクを映していた際録画されなかったのは同じ種類の個体同士で何らかの愛の行為があったのを前者が隠した(消去した)為だと暫く思っていた。見事なミスリード。そう思ったのは俺だけか。
 ハラケンがカンナの亡霊に取り憑かれている(比喩ね。一応書いておくけど)のはフェイズ1から解っていたが、悪化するのがこのフェイズ。朴璐美の演技が上手いだけに、同様天才折笠富美子演ずるヤサコとの会話は非常にヘヴィになるのだ。

 先ず嫌悪感を感じたのはこのフェイズで顔を現すミステリー要素・後者の男。小学生相手にあのトーンで話すのはいかがなものか。そう、問題はハラケンが小学生と云うところである。小学生が”友達の死”にあそこまで重責を持って苦しんで生きるのを観るのは辛いモノがある。中学生、高校生辺りならまだ解らない事も無いし、胃も痛くならなかっただろう。「あの歳ならそんな悩まねーよ」とこのテクストを非難する事はできない。現実にいるかも知れないし、抑もその点を批判してもしょうがないからな。問題なのは表題に書いた様にこの世界に入り込んでしまった為に俺がメガネに殺される状態になった事だ。
 #17の図書館の壁にもたれかかってのヤサコとハラケンの会話。ハラケンを励ますヤサコと、それに対し気を遣い嘘を付くハラケン。小学生に取っての夏休みは楽しい筈のものであり、それを促すヤサコに対し「残りの夏休みを楽しく過ごそう〜中略〜その後楽しい場所に行こう。最後の夏休みだから。」とのハラケンの台詞で、コンテクストから云えば「行けない」状態になる、よく言われる”死亡フラグが立った”状態になり、逆にテンプレートに沿った感で現実に戻され安心するのだが矢張り切ないシークウェンスではある。
 更に#18での土手を歩きながらのヤサコとハラケンの会話で凹む事となる。前回と違いハラケンは本音を吐き、ヤサコを拒絶する。このシーン、BGMと台詞、間、演じる役者の所為で一気に鬱に落とされる事になったのである。

 ここは特にDVD化されてからまとめて観た方が良い。勿論日常に戻れば忘れるのだが、TVの連続モノで観ると1週空くので、その間に思い出すと矢張り重い。と云うか俺が作品内に入り込み過ぎていたのだろうか。子供なら逆にそこまでシリアスに受け止めないかも知れない。10歳の女の子の友達に見せて感想を聞いてみるか。と云う事でこのフェイズでβが一応の解決を迎える。

 3.#21-#26(最終回)を最後のフェイズとする。学校が新築され、隣町の学校と合併する事となった。最後なので当たり前だが全ての謎が解決される。その始まりはαからであり、フェイズ2がハラケン(とカンナ、ヤサコ)をメインとするなら、このフェイズではイサコとヤサコがメインとなる。
 一度#20でブルーな状態から回復したモノの、いきなり#21で今度はイサコが連絡を取っていた男、猫目に裏切られる、要は駒として扱われていた事が解ると云うヘヴィな展開を見せる。繰り返すがイサコも小学生である。併し今回はその所為でブルーになる事はなったが、幾分軽くその期間も短くて済んだ。”イサコは強い”と云う、子供の様な理由が一つ挙げられる。そしてヤサコとの距離が、猫目に裏切られた事に依り近くなる結果を生んだからである。因みにこの作品内で”声”に違和感を覚える事があった1点を挙げると#22のイサコの泣く声である。後はみな上手く演じていた様に思える。声と云えば、これは以前からの話だが、オバちゃんのイサコに対する話し方も、前述した猫目のハラケンに対するそれも小学生相手ではありえない。戦闘モードでのオバちゃんは同等の能力を持ったライヴァルと戦っている様な感がある。ガンダム的な。
 扨てここからは駆け足で物語が進んでいくので特に書く事は無い。別にめんどくさくなった訳では無い。(追記:ほんとはめんどくさくなってた)


画とか声とか登場人物
 キャラクターはジブリや元々画の無い作品の劇場版みたいな薄い感じである。オートマトン同士の戦闘とかサイコミュ、と云うよりビットを思い出して、まぁスピード感もあり良かったかな。各ディヴァイスも綺麗に描かれている。声としては前述以外桑島法子さんは大丈夫だった。子供の頃のも危うかったかな。まぁそれ程気にならなかった。ZOMBIE-LOANがひどかったんで心配したが。全体的に、観る障害となる演技は無し。登場人物もそのスタンスも良いのでは。裏方的魔法使いの役割としてメガばあの存在があったので、メインの子供達の動きも安心して観られる。


オープニング、エンディング映像とかその他音楽
 オープニングは良いんじゃないですかね。静かな立ち上がりのAから、B,サビと徐々に盛り上がってくとこやBとサビの間のタメとか。最後の階段を上がるシーンはヤサコの(謎の)思い出の場所と、それぞれ自分の道(人生)を一歩ずつ自分の足で上がっていくのを重ねた感があって良い。4つのマンホールがオープニングとエンディングに使われてるのって最後の数話手前位で気付いた。


構造を通してとか全体
 1.作品の方向性:もう少し笑いの部分が欲しかったってのが大きい。ヘヴィなシークウェンスではすっきり泣く事もできず鬱々と落ち込んでしまった。まなびの様に簡単に泣ける方が何度でも楽しく観られる。カタルシスを得られるのが最終話になってからと云うのはちょっと。まぁ繰り返すが俺の責任かも知らんが。
 唯、矢張り”エンターテインメント作品”として捉えた場合、悲と喜のバランスが偏っている様に思える。”カッコーの巣の上で”は名作だとは思うし、好きでもあるが、何度も観たいとは思わない。あれはラストもヘヴィだからな。ってか”散々笑わせた上で落とす”と云う最悪の事をやってくれてるからな。それで云えば”スケアクロウ”もそうだ。併しどっちも名作だと思う。てかあれらはバランスは取れてるか。ごめん関係なかった。
 まぁとにかく飽迄エンターテインメントとしてはどうなの?って話である。

 2.寓話性:イサコの入院後、ヤサコの母親やイサコが”現実にあるもの、手で触れられるだけを信じろ”と言い、他の子供達もメガネを取り上げられる。結果彼らは喪失感を覚える。
 現実に触れられないモノにハマる。アニメでもゲームでも小説でも。これは読者が住む、現在の世界の延長である。PC、ゲーム機、携帯等それらのディヴァイスを取り上げられた日本の子供、また大人の姿に容易に重ねられる。併しマイナスの面許りでは無く、電脳的には弱かったダイチが肉体的に強かった事が描かれる。気持ちの良い場面である
 これらの警告をする一方、逆に現実に無いものにも真実がある事も提示する。#24でのヤサコの胸の痛み。ツっこめばツっこめる。それは神経の所為で胃が痛くなってんだから物理的なモンだよと。併しここでは心の痛みを現してるのだろう。当たり前だが。オカルト的な話をした際に「俺は自分の見たモノ、経験した事しか信じない」と言う人間がいるが、じゃあお前はメキシコやニューロンの存在を信じないんだな?と返す。まぁなんにせよハマり過ぎは良くないって事で。

 3.あとなんか:もうめんどくさいだろ俺。まぁ機会があれば直すよ。初めに書いた様にミステリー要素でヒきを作るが、それだけで構成されている訳では無く、ドラマがしっかりと描かれている為に一度観て終わりと云う作品では無い。心情描写も良い。画も乱れない。
 唯、ともすれば冗長になりがち、と云うかある読者にはそう捉えられるかとも思われるので、省略しても解る程度に留め、他のスペースに笑いを入れた方が良かったとは思うが。まぁ読者、即ち受信者がその空時部分を埋められないだろうと云う事であの様になったのだろうか。とすると対象は矢張り大人では無いと云う事になるな。
 惜しかった部分のもう一つはヤサコの転校前に住んでいた地、金沢でのマユミとの再開時、記憶を書き換えていた事に気付くシークウェンス、と云うかその後ヤサコの気持ちが変わった描写の無いところである。色々と布石が用意され、かなり大掛かりな仕掛けが綺麗に機能している物語である。それ故にヤサコが表面的な優しさ、弱さが優しさに勝っていたと言い換えても良いが、を持つだけでは無く、”優子”の名の通り本当に優しくなったタイミングが解らない、若しくはその儘変わっていないのかである。
 フェイズ2のハラケンの為に自らを省みず行動した時点で既に変わっていた様に思える。併しあれは唯彼を好きだったからと解釈するなら、その後何時変わったのだろうか? あ、そっか、多分イサコのインナースペース、若しくはユング集合的無意識、治療所、何でもいいけど、に入った後にミチコさんを自分の片割れと認識した時、即ち自分自身と向き合った時なのだろう。自己解決。イサコを救おうとして、結果自分自身をも救う(性格が良い方向に)事になったのだろう。病室での勇子に「〜勇子のゆうは勇ましいのゆう、あなたは痛みを恐れない勇ましい女の子〜」と呼びかけるくだりは素晴らしい演技である。漸くここで号泣できた。てかやっぱ「痛みを感じる方向に出口がある。」って事で、この後、ヤサコは変わったのだろうか。てかそのイサコに呼びかけた時に普段出さない大声で訴えかけた部分でも変わっている様に見える。段々変化して、またこれからも成長していくのだろうと云う事で。でもなんかやっぱ自分の過去の行動を省みる、ってかマユミにきちんと謝るシークウェンスは欲しかった気がしないでもない。誤魔化したり言い訳せずに謝る事ができるのって強い人間だけだからな。

終わりに
 何度も書くが観てる途中はブルーでメロウで鬱で凹んだ。角元れいんかよ。で、物語の出来は非常に良い。アニメに飽きてきている頃に観たが魅き込まれた。折笠富美子は天才である。まぁ彼女に就いてはまた今度言及しよう。実はこの作品は折笠作品ストーキングの流れで観たのだ。結局声優で選んでるのかよ。いいじゃん。きっかけはきっかけ。



電脳コイル COIL A CIRCLE OF CHILDREN 作品ランク:B  了


【追記】Dec 18:批評部修正、「●プロットの〜以降から終わり」まで書き終える、色付けは途中で諦める。閑話休題部修正。Dec 20:若干修正。オープニングの感想挿入。色付けをするも長いのでやっぱ途中で諦める。

電脳コイル 第1巻 限定版 [DVD]

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 インタヴュー系は好きだが、他のオフショット映像でもそうだが、基本折笠富美子はまじめであり、特に面白い(笑えはしないと云う意味であり、興味深いモノではある)トークが聞ける訳では無い。
 マニアで無ければ作品のみで楽しめると思うので通常版でも良いかな。
電脳コイル 第1巻 通常版 [DVD]

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